ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.153/ 2005.7
寄稿エッセイ:ターニングポイントR



昭和天皇の麻酔

井出 康雄

昭和62年9月22日に宮内庁病院で昭和天皇の手術が行なわれたのは有名であるが、この時の麻酔法はその前後で全身麻酔の方向を変えてしまったという点でまさにターニングポイントであったといえるであろう。ターニングポイントと呼ぶに値すると思われるものはいくつか上げられるが、主なものは、術中の硬膜外麻酔の併用、術中モニターとしてのパルスオキシメータの使用などである。

まず術中硬膜外麻酔の併用に関しては、当時では硬膜外麻酔は全身麻酔との併用は保険で認められておらず、主たる麻酔法のみの請求となっていた。そのため、一般的に全身麻酔は単独でおこなわれており術後痛の程度は現在の比ではなかったと思われる。また、当時は「痛みで患者は死なない」というのが一般的な外科医の認識であったといってよい。そのような時代に、硬膜外麻酔というリスクをあえて冒してまで患者のQOLを優先するという沼田克雄先生(当時の東京大学医学部麻酔学教室教授)の姿勢は、術後痛管理に関して欧米にはるかに遅れをとっていた当時の日本の保健医療に一石を投ずるものであったといえる。ちなみにこのとき硬膜外カテーテルを刺入したのは、諏訪邦夫先生(当時東京大学医学部麻酔学教室助教授)であったそうだ。天皇陛下の麻酔のみによるものではないかもしれないが、やはり硬膜外麻酔と全身麻酔の併用が術中・術後管理に有用であることを社会に大きくアピールしたことは間違いない。

硬膜外麻酔と全身麻酔の併用が日本の保険請求において認められたのは昭和64年であり、麻酔における術後鎮痛に大きな影響を及ぼしたのはいうまでもない。持続硬膜外ブロックによる良好な疼痛管理は、硬膜外麻酔併用以外の鎮痛薬(麻薬)を吸入麻酔薬と併用するバランス麻酔への興味を喚起し、さらには動物実験の結果から敷衍された、侵害刺激をあらかじめ抑制することによって術後の痛みを軽減できるという「先制鎮痛」の概念は、現在でも研究されている「術中の疼痛管理による良好な術後鎮痛」というまったく新しい分野をもたらした。

また、もうひとつのターニングポイントであるパルスオキシメータは、「パルスオキシメトリー」によれば、日本光電工業(株)の青柳卓雄氏が考案したものである。現在でこそ麻酔中のモニターとしては必須とされ、世界中で麻酔の安全を一段と高めたと評価されているのみならず、病棟などでの患者管理にも使用されている。その最大の利点は非侵襲性でセンサーが使い捨てでないため、簡便かつコスト的にも有利である点である。

パルスオキシメータは人体の透過光のうち脈波による変動成分は動脈血と同じ酸素飽和度を示すという理論に基づいて酸素飽和度を測定している。大量生産により大幅なコストダウンを達成した現在と異なり昭和62年のころは高価な機械であり、やはり「パルスオキシメトリー」の宮城県の調査によれば、昭和61年にわずか2%の病院にしかなかったパルスオキシメータが昭和63年には27%まで増加し、その後も年10%以上のペースで増加している。このこともやはり昭和天皇の麻酔においてパルスオキシメータが使用されその有用性をアピールしたためというのは牽強付会というものだろうか。

いづれにしても、歴史におけるターニングポイントとは社会におけるある流れが1つの象徴的な事件をきっかけにそれまでとは異なる方向に向かうことになるその事件を指すと思うが、昭和天皇の麻酔はこれまでに述べたように麻酔法について日本の術後疼痛管理を大きく進歩させるきっかけとなった。そればかりでなくモニターに関してもパルスオキシメータというちょうどそのころに普及し始めたモニターの重要性が認識され広く普及するきっかけとなったという点でもやはり近年のうちで麻酔科の歴史上ターニングポイントといってよい事件と思われる。(佐倉病院麻酔科)