ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.141/ 2004.7
寄稿エッセイ:ターニング・ポイントF



ターニングポイントには自分が選んだ転機と人から与えられた転機がある。

長尾 建樹

自分の話になって恐縮だが、30代の頃6年間ほどカナダのモントリオールで脳神経外科およびその基礎研究に従事していた。4歳の長男を連れて家族で海を渡った。第一次湾岸戦争の始まる1年ほど前だった。子供の適応力はすばらしく小学校に通う頃には日常の会話だけでなく仕草までもがカナダの子供になっていた。当初は親ばかではあるが、なんとなく誇らしくも思っていた。私自身の仕事も紆余曲折を経ながら何とか軌道に乗ってきていたが、将来が不透明で、ついには日本に帰るか、このまま現地でとことん仕事を続けるかの選択をしなければならない時がきた。当時私のボスは一緒に仕事を続けることを薦めてくれた。多少だが、経済的な援助も続けてくれると言ってくれた。カナダでの生活も5年目を迎えており、当時1歳になる次男も生まれていた。

家での食事はもちろん伝統的な箸を使った米食であったが、食卓で、長男が、“Dad, pass me お醤油”(パパ、お醤油とって。)と言う。だんだんと私たち夫婦とは違う文化に染まっていく長男をみて寂しく、また不安な気持ちになってきていた。30代の後半を迎えていた私にとってカナダに定住するか日本に帰るかの選択であるが、もちろん家族の将来も考えなければならなかった。いろいろ考えを重ね妻とも話し合い、子供たちの将来も考慮し帰国する決心をした。当時の医局長は大学に私の籍を残してくれていたが、そろそろ退職をしてそのままカナダにいるか帰局するか態度をはっきりするように連絡してきており、今ならまだ日本で脳神経外科を続けることができると思った。日本から神戸の大震災のニュースが飛び込んできた頃である。

帰国の3ヶ月くらい前に長男に日本に帰ることを話した。彼は日本の記憶がほとんどなく途端に不安な表情をみせた。友達と別れたくない。もっともな理由である。週末に日本人学校に通ってはいたが、漢字が苦手である。これも彼の不安を掻き立てていたようだ。小学校の先生にその不安を相談したらしく担任の教師から話があった。東京に住む話をしてあったので近隣にあるInternational school をいくつか探し、推薦状まで用意してくれて、子供の希望どおりにした方がよいとのアドバイスであった。長男も英語の学校に行きたいと主張した。言葉の不安が解消できると思ったのだろう。しかし結局は日本の普通の学校に編入させた。International schoolへ行けば日本人としての Identity がなくなり、かといってカナダ人でもない中途半端さに将来悩むことになるだろうと思った。彼にとって一生忘れられないターニングポイントになったはずだ。自分で選択したわけではないのに。

日本に戻り数年して私自身に転機が訪れた。東邦大学に講師として採用してくれるという。40代になっていた。そろそろ医局を出るか残るかの選択をしなければならない時期であった。他にも、大学以外の総合病院への話もいくつかあった。開業も考えていた。かなり思い悩んだ。そんなある日妻から言われた。中学生になった長男が私のことを心配しているという。「パパ、転校するんだって。転校すると最初は一人ぼっちなんだよ。お昼ごはんも一人で食べるんだよ。」そして最後に「パパには言わないでね。」 長男には私の不安感が見抜かれていた。帰国直後から嫌がらずに日本の学校に通い、もうすっかり日本の生活に慣れていると思っていた長男が、自分たちの子供社会の中で如何に苦しんだのか、まったく気づかなかった事だけでなく、そんな困難を与えてしまった事にある種のショックを受け、健気に努力していた我が子を殊更いとおしくも思った。私の不安感は所詮自分で選択した結果である。

かくして東邦大学に移籍し、大森病院を経て昨年末から佐倉病院で働かさせていただいている。もちろん佐倉病院が大好きである。毎日が充実しており、素晴らしい同僚や職員の皆様のおかげで楽しく仕事をさせてもらっている。今まで迎えたターニングポイントにおける自分の選択は正しかったと実感できる毎日である。長男は高校生になった。仲のいい友達もいて、学校も皆勤である。部活も楽しそうに励んでおり親としてはほっとしている。私の与えてしまったターニングポイントをどう思っているのだろうか気になってはいるが、彼自身が結論を出せる頃には私はもういなくなっていることだろう。身勝手だが、できれば感謝してもらいたいし、またそう思えるように努力してもらいたいと願っている。佐倉病院の増床が決定したようだ。問題は山積しているが、大きなターニングポイントに違いない。我々にとって与えられた転機ではあるが、いいチャンスを与えてくれたと将来感謝できるように努力したい。(佐倉病院 脳神経外科)