ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.147/ 2005.1
寄稿エッセイ:ターニング・ポイント⑬


突然のアイルランド留学

鈴木 康夫

“私のターニングポント”を読みながら、普通ならば他人の目に触れることのない個人的体験を赤の他人である読者が覗き見みしながらも共感を覚えるという貴重な瞬間を我々に与えてくれるものだと感じると同時に、各々の作者全てが見事な程に自分の奥深い人生の一断面を生き生きと読み手に伝える文才を持ち合わせていることにただただ驚かされています。ところが、私にとっては小学生の頃から作文の課題は最も憎むべき宿題として呪い続けていた代物でしたし、エッセイなども自分自身の有り様や気持ちを率直に表現する文才など全く持ち合わせていないので無縁なものと信じていました。今回の原稿依頼はクローン病発症の原因を一言で説明して下さいという難題に答える以上の至難の業と言わざるを得ません。

人生のターニングポイントとは、人生の最終章をまさに迎えようとする瞬間、自分の人生を振り返り宿命的な方向性を決めた出来事に思いを巡らし改めて気付かされる一大事と解釈すれば、まだ20〜30年(??)の人生を残し過去など振り返る余裕のない日々を過ごし目の前のことを処理するのに精一杯の現在の私には、極めて不適切な依頼であります。人間はその体の構造から罹病の運命までさらには行動様式までが全てDNAに組み込まれた遺伝情報によって決定されているとする昨今の唯物思考的風潮に従えば、我々は人生さえも既に終着点が決められているレールに沿って歩んでいるだけであり判断次第では全く逆の人生を歩んだかもしれない、ターニングポイントなど幻想なのだ。なんていろいろ屁理屈を述べ自分を納得させ執筆依頼を回避しようと画策している場合ではなく、ともかくなんとか形にするべく筆を進めなければなりません。未だ進行形の人生の直中ではありますが、少なくとも現在の自分の在り方を決めたターニングポイント(??)はなんだろうと考えてみました。

現在私は東邦大学医学部付属佐倉病院の職員として働く機会を戴いており、なぜ千葉市立病院、なぜ松戸市立病院でなく、東邦大学病院にいるのかを考えるとそれを決めたのが私の医師としての現時点までのターニングポイントだったのだと思います。私の専門は、未だ原因不明で難治性ながら近年世界的に患者数の増加が著しい潰瘍性大腸炎とクローン病即ち炎症性腸疾患の診療研究です。炎症性腸疾患患者さんの診療や研究を目指してきたことが大学病院そして東邦大学佐倉病院に存在する理由なのです。

ではなぜ、炎症性腸疾患なのか?今から約18、9年前、当時私は千葉市立病院の内科医として勤務していました。その前には松戸市立病院の内科医として2年半勤務し、消化器内科医として肝胆膵から胃腸全般に渡る診療技術を身に付け、その技術を生かすべく千葉市立病院内科の創設に参加し(時まさに、千葉市立病院が海浜病院と現在の青葉病院に分割される瞬間)肝癌治療や静脈瘤の治療、膵癌や胆管胆嚢癌の治療そしてまだ目新しかった大腸一人挿入法と早期胃大腸癌内視鏡切除術に取り組み、県下で一番との自負(過信??)の元、毎日一般臨床に忙しくもその面白さに取り憑かれていた真最中でした。

勤めて2年目いよいよ過信も自信に代わり、このまま千葉市立病院に一生身を投じようと決心を固めた矢先、突然医局(千葉大学第二内科)から呼び出しがかかり、“話しがあるので医学部正門前にある喫茶店(今はなくなってしまいましたが)に来て田村講師(内分泌学が専門)に会え”とのことでした。余りに突然で何か医局に迷惑をかけたのではないかとびくびくしながら行ったのを憶えています。田村先生の口から発せられたのは全く想像もしていなかった留学の勧めでした。それも、いまでは既に世界的に有名なエンヤやU2といったポピュラー界の巨人を生み出す国、リバーダンスでも有名なアイリッシュダンスやギネスビール、そして2002年サッカーワールドカップで千葉にキャンプを張り不屈の精神力で勝ち進み最も記憶に残るチームに選ばれたことなど、既に日本人には馴染み深い国の一つになっていますが、地理の不得意な私には世界のどこに位置する国なのか頭に思い浮かばず、一瞬アイスランドと聞き違えた国アイルランドでの半年後の研究生活への打診でした。

返事は簡単で、yes or noの二つしかありません。大学には研修医の一年しか在籍せず、その後は一般臨床病院の仕事しか知らず、研究室に在籍したことのない人間には余りにも唐突な話です。当時私には小さな子供が二人おり、一人は既に幼稚園に通っていましたが、もう一人は生後6か月の乳児という家族状態、臨床の面白さに取り憑かれ誰にも負けない自信過剰なほどの技術を身に付け、またそれらの技術を十分に発揮させてくれるこれ以上ない快適な職場環境、しかしその技術を2年間封印しなければならない研究生活、そして学生時代以降(中も?)全く試験管を握ったことがなく研究生活に没頭するなど夢にも考えたことがない私にはyesと即決する自信はありませんでした、というより、研究生活に没頭して成果を出すなどと言うことは自分とは全く別の世界の人間がすること考えていた私にはnoという言葉しか頭に浮かびませんでした。まさに、人生のターニングポイントです。

田村講師と別れたあと、直ぐにアイルランドのことを少しでも知ろうと本屋に向かいましたが、本屋の中で愕然として立ちつくしてしまいました。当時普通の本屋で、アイルランドだけを取り上げた一般書を見つけることは不可能に近く、ヨーロッパ全体に関する記述の中で“ヨーロッパの片田舎”の島として数行の紹介だけしかなく、どのような国なのかに関する情報はその後アイルラン大使館に足を運んで初めて手に入れるまで全くありませんでした。全く雲をつかむような、情報のない遥か遠い島へまるで島流しにあうような心境でした。

しかし、田村先生の“新たな人生にチャレンジしてみないか”という言葉、私が最も敬愛する当時の千葉市立病院内科部長であった板谷先生のアメリカ留学時代の“楽な留学生活はないが得るものも大きい”という経験談を聞かせて戴いたこと、僅かな情報の中で“アイルランド人は極めて人がいい”という記述だけが私の気持ちを和ませてくれたこと、そして最後はなによりも女房の“いきましょうよ”の言葉によってyesと答えることに決めました。まさに“清水の舞台から飛び下りる”思いと“なんとかなるさ”と自分自身に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせたのを思い出します。それから留学に出発するまでの半年間は、千葉市立病院の勤務後、時には朝方になるまで、少しでも留学で困らないようにとの田村講師の配慮で、研究手技の練習として内分泌学研究室で毎日与えられた実験課題を達成するための研究という二重生活を送った後、昭和60年4月1日ついにアイルランドの首都ダブリン空港に一家4人で降り立つことになりました。

しかし我々家族にはいくつもの苦難が待ちうけ、その後一か月間はまるで悪夢のような日々でした。最初に降り立ったダブリン空港では、“人のいいアイルランド人”のはずが人生でこんなに頑固で嫌な奴はいないと思われる入国審査官によって入国を拒否され、数時間の押し問答のすえやっと一か月限定の観光ビザで入国、やっとのことで入国を果たすも住む家はなく、小さな子供二人を抱え途方にくれながらホテル住まいをしながら不動産屋巡り、何件も巡ってやっと気に入り契約しようとした家は数日前に持ち主が死んだばかりでいまだ喪中の最中、とまるでドタバタ喜(悲?)劇のような一か月を過ごしながら“こんな筈ではなかったのに”と、その時ばかりはほんとうにダブリンに来たことは人生最大の選択ミス、ターニングポイントを誤ったと後悔しました。

しかし人生いつまでも悪いことばかりが続くものではなく、谷があれば必ず山がある、辛抱の後一か月が過ぎた4月下旬、アイルランドでは極めて珍しい暖かな日々が続き、花々が満開に街中溢れる春(ヨーロッパの春はほんとうに美しい)が訪れた4月29日(以前の天皇誕生日)を境に、その後は沢山の素敵なアイルランドの人々と友達になる素晴らしい出会いが続く日々になりました。家探しでほとんど仕事には手がつかず研究室と家との単なる行き来だけで研究室の中では誰一人言葉を交わす人もいない状態でしたが、4月29日天皇誕生日を祝う日本大使館でのパーティーに呼ばれ懐かしい日本酒に思いっきり酔った勢いで初めて研究室の仲間に片言の英語で話しかけた途端(それまでは一人暗く研究室の片隅で文献調べだけに時間を潰していた)、気持ちが通じ合うと共に研究室の一員として正式に(?)認められ、毎週金曜日のアフターファイブには研究員でいっぱいなる有名なアイリッシュパブに誘われ飲み明かすといった“アイリッシュはほんとうにいい人である”ことを実感する夢のような日々を過ごすことができました。そして2年間の留学生活のお陰で、千葉大学から東邦大学佐倉病院を通じての研究テーマ“炎症性腸疾患”と深く関わる機会を与えられ、医師としての大きな目標を手に入れることができました。

もしあの時、noと言っていたら炎症性腸疾患を専門にすることはなかっただろうし、その結果、東邦大学佐倉病院に在職することにもならなかったのだろうと考えると、あの時がまさに現在の私のターニングポイントだったと考え、個人的経験で他人にはどうでもいいことを長々と笑われるのを覚悟の恥ずかしさいっぱいで書いてみました。授業に追いつくのが精一杯でクラブのことと麻雀そして友達と遊んだことしか思い出せない大学生活を送ってきた“ならず者”人間でも、人生の思わぬターニングポイントに出くわした時、それがその時の自分には不釣り合いで身分不相応なことと思っても、思いきって踏み出してみる決断をするのも、いいのではないでしょうか。(佐倉病院 内科)