ある医学図書館員の軌跡
医学部ニュース 65号  1996.10



孤独とパソコンとの闘い - 佐倉病院図書室の5年間 


平成3年9月、佐倉病院開院と同時に開設された図書室に、医学部図書館から移動してたった一人で勤務することになった私でしたが、心配や不安をたくさんかかえていました。その中でも〈孤独〉と〈パソコン〉がもっとも気になるところでした。開院から半年くらいは、日に4〜5人の利用者しかない有り様で、忙しく活動している病院内にあって、唯一忘れられた場所、必要とされない存在のように感じることもありました。しかしながら、私にはある確信がありました。図書室の規模や設備、蔵書数だけが、図書室の評価ではないのです。

現在、「医学医療情報の提供」に関しては、極端な言い方をすれば、パソコンとファクシミリさえあれば可能になっています。 まずパソコンで文献検索を行います。日本語文献では医学中央雑誌、外国文献ではMEDLINEという代表的なデータベースが無料で利用できます。検索した中から必要な文献を選び、ファクシミリで医学部図書館、大橋図書室、全国の医学図書館などに文献複写の依頼をします。医学図書館のネットワークは歴史も古く、レベルも高く強力です。文献のコピーは郵送で届きますが、医学図書館はおしなべて処理が迅速なので、3〜5日で入手できます。インターネットでネット・サーフィンをするのも素敵ですが、医療にたずさわる人には、まずはMEDLINEを知っていただきたいと思います。

開設当初の私の不安の一つ〈孤独〉は医学部図書館のバックアップや背後にある強力なネットワークのおかげでやわらいで行きました。また、図書室の利用が増加するにつれ、ドクターはじめ病院のさまざまなスタッフの方達と知り合い、言葉を交わすことができるようにもなりました。とりわけ、患者としてお世話になったこと(二回も入院しました)により、スタッフの皆さんがより身近に感じられ、自分もその一員であるという自覚が生まれたことで孤独を克服できたように思います。現在では日に20〜30人の利用があります。昨年度の文献検索は667件、文献複写申込みは4622件までに伸びました。

もう一つの不安だったパソコンについてはいまだ戦いのまっただ中です。開設当初、ワープロの初歩がやっとという状態でした。一人で図書室の業務をこなすにはパソコンとなかよくする以外に道はないことはわかっていました。とはいえ、かっての文学少女で古典的図書館員、機械との相性がとびきり悪い私ですから、最初の一歩さえ踏み出せないでいました。途方にくれていた私を助けてくださったのは、小児科の沢田先生でした。SOSを発信するとまるでスーパーマンのようにかけつけて解決して下さるのです。管理業務の機械化が実現できたのは先生のおかげでした。

こうしていくらかマイパソコンに慣れてきたと思っていたら、いつのまにか、周囲はインターネットだのウィンドウズだのと騒がしくなっていたのです。年々増加して行くデータの処理や通信に不便を感じ始め、パワーアップの必要を感じながらも、なんとなく先送りにしていたら、バチがあたりました。マイパソコンが壊れてしまったのです。新パソコン(ウィンドウズ)との新しい闘いは始まったばかりです。

今の私と新パソコンとの関係は、秘書に頭が上がらない代議士といったところ(パソコンが秘書)。なんとか思い通りに働かせたいと思うのですが命令の仕方がわかりません。理積めの命令でしか動かない融通の利かない相手なのでいらいらしてきます。ツーと言えばカー、一を言えば十を知るという、私がもっとも好む関係とはほど遠い相手です。パソコンを擬人化すること自体、好もしい兆候ではなさそうです。「単なる道具、単なる手段にすぎないのだから必要な範囲で使えばいいのであってそれ以上出しゃばらせるべきではない」と威張ってみても、やっぱり、擬人化しちゃってますね。

幸せなことに私のSOSをキャッチしてくださるスーパーマン第2号が登場しました。扮装すればそっくりになりそうなMEの立原さんです。多忙なスーパーマンにあまり迷惑をかけないようにしたいと思っています。利用者の皆さんの役に立ちたいというのが私の変わらぬ願いです。この願いは患者さん(私もその一人)の助けになりたいという望みに支えられています。情報は上手に使えば大きな力になります。上手に使うためには、慣れる必要があります。慣れるには図書館に親しむのが近道です。皆さんのまい・としょしつになりたいと思っています。