ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.11 1993.3



入院を体験して



昨年10月思いがけず入院を余儀なくされ、当病院にお世話になりました。肝機能障害が明かであるにもかかわらず、入院中を通じ、まったくの無症状でいささか気がひけるような入院生活でした。3週間ほどの入院でしたが、貴重な体験ができたと思っています。その一つは、臨床の現場に触れることができたことです。入院期間中は病院のほとんど全部門の皆さんに多かれ少なかれ、なんらかのお世話になったことになります。

医学部図書館から佐倉病院図書室に移って、自分では医療従事者の一人に加えてもらったつもりではいましたが、実際にはその実感が持てずにいました。今回の入院で、病院がぐんと身近に感じられるようになり、この病院の図書室に勤務しているという自覚、そして問題意識も生まれたような気がしています。次の貴重な体験は、一人の患者になってみて感じた素朴な感情や疑問です。その中には、個人差を考慮しても、患者に共有のものが多く含まれています。中には言葉になりにくい感情もありますが、一つ取り上げてみたいと思います。

『乳ガンなんかに負けられない』の著者千葉敦子さんは自分で乳ガンを見つけた時、「心のどこかでしめたと思った」というほどの強靭なジャーナリスト魂を持った人でした。彼女の強気そのものの闘病は凡人に真似できるものではありませんが、この千葉さんをして、唯一がまんできないと言わせたのが、日本の病院でのプライバシー不在という事態でした。

「一番困ったのはこうした私の孤独にたいする強い欲求、プライバシー不在による苦しみを理解してくれる人が少ないことだった。−略− 病室を共にするという即席の集団にさえ、たちまちチーム・スピリットが生まれ、それに同調しない者には無言の圧迫が加えられる。こういう日本人の心理は途方もなく恐ろしいものを含んでいると思う」

この後半の千葉さんの言葉に述べられているのは、まさしく社会の縮図であり、イジメの構造ということができます。私自身、千葉さんほどではないにしても、プライバシーの不在に苦しんだ患者の一人でした。けれど、それ以上にイジメの加害者になっていたことに気ずかない訳にはいきません。ついつい、病室でのさわがしい長話に加わって興じ、「おつき合いですもの、悪気はないのよ」と同室の重い患者さんに対して、内心言い訳をしたことが何度もありました。このことは忘れないようにしたいと思います。

それにしてもお見舞いの人が多いのとその滞在時間の長いのにはいささかビックリしました。とりわけ日曜日。病室の患者の数をお見舞いの人数が上まわるということもまれではありませんでした。そしてその状況が長時間続くのです。入院中の患者のQOLを考える時、プライバシーの問題は、忘れてはいけない事だと強く感じました。