ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.130/ 2003.8


アルセーヌ・ルパンとY先生



私の初恋の人はアルセーヌ・ルパンです。最初の出会いは小学4年生の時。担任の若い女のY先生の読み聞かせでルパンが活躍する『奇岩城』に出会って以来、その後の数年間はルパンの虜でした。当時20代後半、新婚ほやほやのY先生からは国語と音楽を教わりましたが、印象に残っているのはホームルームです。毎日のように本の読み聞かせの時間がありました。宮沢賢治なども聞いた記憶がありますが、ルパンの人気にはかないませんでした。私だけではありません、クラスの大勢が熱中し、続きが待ち遠しくてなりませんでした。

今思うと、学校での読み聞かせに宮沢賢治はともかく『奇岩城』は奇妙です。当時、子ども向けの抄訳はなかったので、一般向けの全訳で聞いたわけで、確かに理解できないところだらけでした。それでもみんな夢中になったのです。今でも物語の舞台になったノルマンディー、ル アーブル、ルーアン、エトルタといった地名を聞くと、あのころのワクワクした気持がよみがえります。

Y先生がルパンを子どもたちに聞かせた理由ははっきりしています。Y先生自身、ルパンが大好きだったのです。その大好きな気持が子どもたちに伝染して、内容はチンプンカンプンなのにその面白さだけは十二分に伝わったのです。成人して『奇岩城』を読み返し、初めて筋を理解しました。でもチンプンカンプンだったあの頃に勝る面白さは味わえず、ルパンの魅力も色あせていました。初恋の人との再会は考えものですね。

さて、読み聞かせ『奇岩城』は最終回を迎えました。でも、これっきりルパンに会えなくなるなんてがまんできません。今なら、古今東西の本や文献を検索できますが、当時の私には自転車で行ける2~3軒の本屋がすべて。そこで愛するルパンを探し求めました。神さまが少女の願いを聞き届けてくださったのでしょうか、5年生になったある日のことです。バスで少し離れたところに住む祖母の家に遊びに行きました。その近所のカッパ書店という小さな本屋で『アルセーヌ・ルパン全集』の一揃い(十数冊)をみつけたのです。その場で主人に誰にも売らないで欲しい、毎月一冊ずつ買いに来るからと頼みこみました。内気ではにかみやの私にしては驚くべき大胆さでした。

カッパ書店の主人は、毎月のこずかい300円を握りしめ、自転車でやってきて、ルパン全集を一冊ずつ買っていった女の子のことを後になってもよく憶えていました。一冊読み終えるごとに学校に持って行き、Y先生に貸しました。それはY先生と私だけの秘密でした。ボンボンのついた素敵なトックリセーターの肩から腰にかけて長い髪をたらし、ピアノに座ると決まってモーツアルトのトルコ行進曲を弾いていたY先生の姿が今でも鮮やかに思い出されます。憧れの先生とルパンの秘密を共有していると思っただけで、夢見心地の日々でした。でも先生の前ではゆでだこのように真っ赤になって、それがまた恥ずかしくて一言も口がきけないのでした。

中学生を目前にしたある日のこと、教室の私の机に何か入っていました。リボンのかかった小さな包みです。開けてみると文庫本の『小公子』でした。添えられた手紙には美しい筆跡で、「お誕生日おめでとう、少し難しいかもしれませんが、文庫本は安くていい本がいっぱいありますよ」と書いてありました。その日から文庫本が身近になりました。高校2年生のとき、故郷の小都市から東京に引っ越すことになり、Y先生に知らせました。すると先生が「私は大連にいたことがあるのよ」とポツンと言われました。もっと後になって、私たちが教わったころは、先生が最初の不幸な結婚の痛手を乗り越え、新しい結婚生活のスタートを切った、ちょうどそのころだったことを知りました。十数年前、郷里で先生の60歳の退職祝いがあり、トレードマークの長い髪は短くなっていましたが、やさしい面影はあのころのままの先生と再会しました。