ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.137 2004.3



坂井聖二先生、あの時はありがとうございました。

下原 康子(東邦大学佐倉病院図書室)


実は、坂井先生に秘めたる感謝の思いを抱いています。昔のことで先生は憶えておられないと思いますが、遅ればせながらこの紙面を借り感謝の気持ちを述べさせていただこうと思います。今から26年前。東邦大学大森病院で息子が生まれたときのことです。予定より一か月早い早産でした。体重は2500グラムありましたが、母乳を吐くのが止まらないので検査することになりました。担当なさったのが坂井先生でした。当時とてもお若かったのですが、看護婦さんから「お父さん」と呼ばれておられたと記憶しています。いくつかの検査の最後に白血球が異常に少ないことがわかり、血液疾患専門の月本先生、澤先生に診ていただくことになりました。心配しましたがその後の経過はよく、小学校に上がるころには正常値になりました。けれど、最初の数年は先が見えなくて不安な毎日でした。当時、私の職場は東邦大学医学部図書館でした。産休が終わって復職したとき、誰から聞いたのか思い出せないのですが、坂井先生が「母子共に回復するまでは」と早産のため短縮された産休の延長を願い出てくださったことを聞きました。そのことを思い出すと今でも暖かな感謝の気持ちに包まれます。けれど、お礼の一言も伝えないまま、20年の歳月が過ぎました。

そして、6年前です。娘が高校3年生の2学期、行き過ぎたダイエットが原因で拒食症になってしまいました。白井先生に診ていただき病名を告げられてもピンとこないうかつな母親でした。その後、通学できず閉じこもりがちになり、これはただならぬ病気ということがわかってくるにつれ、家族・友人・学校の理解や協力が必要だと思うようになりました。けれど、高校で摂食障害のことを理解してもらえるかどうか不安でした。その不安は安心に変りました。高校の先生たちは摂食障害に理解がありました。しかも、坂井先生と面識があったのです。というのは、3年生の別のクラスに摂食障害の女の子がいましたが、彼女は坂井先生の患者でした。坂井先生はわざわざ学校に出向き、先生たちに病気について説明し理解を求め必要な注意を授けておられたのです。学校の理解がなければ、娘は教室にいられず、おそらく卒業もできず、回復は長引いたと思います。

坂井先生が大学を辞されてから文献申込みをお受けするようになりました。児童相談所から受けた事例です、と言って申し込まれることもありました。あるとき「送っていただいた文献のおかげで子どもの命が助かりました」というメールをいただきました。医学図書館員になって一番嬉しかったことです。この日からこの仕事が好きになりました。ご病気で視力を失われたことは、なんと言っていいかわからないほど残念です。けれど、先生の穏やかな表情の中に、本番はこれからとでも言うような力強い決意を感じます。今まで以上のご活躍をお祈りすると共に、これからも文献入手等でお役に立ちたいと願っています。(2004.3)

坂井先生は1950年生まれ。東邦大学医学部卒業。大森病院、大橋病院を経て坂井医院院長(小児科)。1991年設立当初より「子どもの虐待防止センター」http://www.ccap.or.jp/に参加、同センター理事長。平行して東邦大学付属佐倉病院で小児精神科の診療。(2004年現在)


児童虐待の専門書を翻訳した 坂井聖二さん
読売新聞「顔」で紹介(2004.2.29)



坂井先生が『虐待された子ども』のカバーに選ばれたフリードリヒの絵。
Caspar David Friedrich (1774-1840) Large Enclosure  ドレスデン国立絵画館)





坂井先生の著作・翻訳

虐待された子ども ザ・バタード・チャイルド 第1版 Helfer,M.E.他編 
子どもの虐待防止センター 監修 坂井聖二 監訳 明石書店 2003
虐待を受けた子どもの治療戦略:被害者からサバイバーへ 第1版  
Karp,C.L. 等著 坂井聖二、西澤哲 訳 明石書店  1999
子どもを病人にしたてる親たち 代理によるミュンヒハウゼン症候群  
坂井聖二著  明石書店  2003
私の出会った子どもたち 〜小さな星たちの記録 (CCAPブックスNo.8)
坂井聖二 著 子どもの虐待防止センター 2006
児童虐待への介入:その制度と法 第1版 吉田恒雄編 坂井聖二 等著  尚学社  1998
子ども虐待への挑戦 医療、福祉、心理、司法の連携を目指して 
子どもの虐待防止センター 監修  坂井 聖二 著+西澤 哲 編著  誠信書房 2013

子どもの虐待防止センター理事長 坂井聖二先生は2009年3月2日に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
子ども虐待診療手引き 第2版(日本小児科学会)