ある医学図書館員の軌跡
図書館ニュース No.233 1992.2



佐倉病院図書室から



医学部図書館から佐倉病院図書室に移って半年近くが過ぎようとしている。佐倉病院ができると聞いた時から望んでいたことで、現に今こうしているのだけれど、なんだか夢のようでまだ実感がわかない。準備の段階で、予測や予想したのと何かがくい違っていたような気もしている。おそらく<病院>に対する無知に気づかないまま医学部図書館での経験を生かせると安易に考えていたせいかもしれない。一方で意外なうれしい展開もいくつかあった。 

まず身にしみて感じたのは現物(資料)のないさびしさ、悲しさである。もちろんそんなことはわかりきっていた事だけれど、資料がない分OA機器を駆使して情報図書館としての機能を充実すればよいと考えていた。この考えは間違ってはいないが、現実の把握においてやや甘かった。コンピューター検索ならば、医学部図書館と同じレベルでサービスできる(CD-ROM/MEDLINE,CD-ROM/医中誌、JOIS、NACSIS-IR)しかしながら、いかんせん現在の検索では抄録までがせいぜいで(その抄録も全論文に付いているわけではない)内容はやはり現物のコピーにたよらざるを得ない。CD-ROM に論文の全文が入っていると誤解している利用者がたまにあるが、まだそこまではいっていないのである。

せっかく検索でヒットしてもその文献をすぐに見ることができない。それでも雑誌論文の場合はまだいい。3〜4日でコピーを入手できる(連絡便が頻繁になればもっと早くなる)困るのは図書である。特にテキスト的な図書がないためとっさの需要にほとんど応えられない。医学部図書館に親しんでいたある利用者が、「あの本があればなあ、ほら、図書館の二階の書架の真ん中辺、あそこにあった・・・」とおっしゃる。「そう、ありましたねえ・・・」と答える私の目はうつろになる。医学部図書館ではカウンターにいて文献申込の処理をしていたが、その大部分は雑誌論文だった。それで図書の利用に対する認識が甘くなっていたようだ。今後はスタッフの助けをかりて効率の良い収書の努力をしよう。

情けない話になってしまったので、ここで資料が少なくて得な点をあげておく。資料にかかる非常にたくさんの仕事からまぬがれるのはもちろんだが、利用者にとっての利点もありますよ。量が少ないとひととおり目を通すことができる。内容まで見なくても、和雑誌の特集など案外記憶に残るものだ。専門外のものも目にふれやすくなる。その中に拾いものがないとも限らない。ともかく資料に関してはないものねだりをしても仕方がないので、持てない図書室として生きる道をみつけるしかない。こうなればたよりはファクシミリとパソコンである。

ところで当初からの私の一番の不安はなんと言っても<機械>だった。大小をとわず、機械には昔から弱い。電化製品のちょっとした故障の修理もできないし、ビデオ録画もいつも息子にやらせる。バカチョンカメラでさえピントをはずす、フィルムの入れ替え方も知らない。どんな高級車も見分けがつかない。機械というとどうしても学校時代の物理のいやな印象がつきまとうのである。いまだに、理数系に強い人に対するコンプレックスから解放されていない。そもそも機械とは対極にあるように思われた<本>が好きで選んだ仕事である。いつのまにかこういう事態になって、なんだかだまされたような気持ちだ。

けれどそんなたわごとを言ってはいられない。今の私はパソコンと手を組む以外残された道はないのである。唯一の強力なパートナーなのだから。本当に有り難いことに途方に暮れている私に小児科の沢田先生が救いの手をさしのべてくださった。先生の指導でデータベースソフト「桐」を使って図書目録の入力をスタートさせることができた。これは当初からの夢だったが、こんなに早く実現するとは思っていなかったのでとてもうれしい。今のところ図書室の利用者は限られており、利用も少ない。来年度になれば希望の多い図書を購入することができるようになるし、だんだん増えていくだろうと期待している。今の内にパソコン君となかよくなっておきたいとニラメッコの毎日だが、なかなか容易ではない。

最後に一言、佐倉はいいところです。すっかり気に入ってしまいました。病院はきれい、色も素敵。何より周りの環境がすばらしい。昼食後よく散歩をする。神社とお寺をまわる散歩コースをみつけた。大きな木に囲まれた神社はひっそりして気持ちがよい。民家を眺めるのも楽しみの一つ。瓦屋根のりっぱな大きな家が多い。庭も広くて格好のよい松があったりする。そんな家からたまに人が出てくると、たいていモンペ姿のおばあさんだ。犬を飼っている家が多くよくほえられる。お寺の裏では三匹のノラ猫が遊んでいる。仲よくなりたいのだが、いつも逃げられてしまう。病院の前方は両側から都市化の波が押しよせてきている。今残っている田圃や畑や林もそのうち無くなってしまうのだろうか、今から心配だ。