ある医学図書館員の軌跡
ほすぴたるらいぶらりあん 21(3) 1996.9
 


楽しんで文献検索  薬害エイズの教訓


もう10年以上も前のことですが、暑い真夏の名古屋で、日本医学図書館協会主催のセミナーに参加したことがあります。参加者全員が短い発表をすることになっていました。当時、医学図書館に勤務していた私は「医学図書館員としての生きがい」という、やや異色のテーマで発表しました。今その時の原稿を読み返してみると、身近におしよせつつある機械化の波に恐怖の念をいだきながらも、医学図書館員としてのアイデンティティーを見出したいという、いじらしい気持が見て取れます。

発表の内容はとりとめのない荒唐無稽な話に終始しており、自信のなさを露呈しただけの結果に終わりましたが、私としては職業意識に自覚めるきっかけをつかんだ思い出深いセミナー になりました。 発表を終えた後、3人の参加者と名古屋の居酒屋へ集いました。お酒も入り、本音が出始めた頃、私は医学図書館員としての3つの不安を打ち明けました。それは、医学知識の欠如、語学力の欠如、コンピュータ知識の欠如の3つです。この3つの知識がそろわなければ、医学図書館員としての使命はまっとうできないのではないかと、いかにも頭の堅いバカ真面目な疑問を投げかけたのでした。その時、今ではもうお名前も大学も忘れてしまったのですが、熟年の紳士が「それほど堅苦しく考えることはありません。だんだん慣れてわかっていくものですよ」という意味のことを言われたのを印象深く記憶しています。

それから10数年経って、このごろやっと私もそう思えるようになりました。 この3つの知識・技術が習得できたいうわけではありません。語学力は10年前から低下する一方ですし、パソコンはいまでも一人ではどうにもなりません。しかしながら、医学英語には自然に慣れましたし、パソコン習得の秘訣も発見しました。<パソコンに詳しくて、教えてもらえそうな人を身近にみつけること>私の場合パソコン習得の秘訣はこれにつきます。医学知識の習得に関しては、文献検索を多く経験するのが実際的かつ効果的であったと思っています。

つまりは、3つとも時間をかけてただ慣れたというだけのことで、一向に参考にならない結論なのですが、一つだけはっきりしたことがあります。 実は私の不安の核心にあったのは、自分の知識のなさではなく研究者コンプレックスだったのです。利用者とじかに接し、彼らの要望に答えることができるようになるにつれ、このコンプレックスは解消されていき、知識の欠如も気にならなくなりました。対象をよく知ることこそサービスの鉄則です。これが原点であることに気がつきました。

文献検索は利用者と触れ合うよい機会になります。もっとも、検索は本人が行うのがベストですし、このごろではネットワークからアクセスして検索する人も増えつつありますが、図書館員がノータッチですむようになるのはまだ先のことでしょう。私は今ではこの 仕事が一番好きです。検索を利用者にまかせっきりにするのはもったいない話だと思います。先にも述べたように医学知識に慣れる近道でもあるし、なにより、情報を得る強力な手段だからです。この手段はおおいにPRすべきですし、自分でも楽しまなくては損だと思います。

慣れるには、関心をもって検索を行うことです。自分や家族の健康にはだれしも関心があるでしょう。それで種がつきたら、興味のあるテーマや事件を見つけれ ばよいのです。 最近、浜松赤十字病院図書室の飯田育子さんと済生会下関総合病院図書室の野麻千鶴さんから図書室だよりを送っていただきましたが、0−157関連の記事と情報が掲載されてい ました。また地下鉄サリン事件の時には聖路加国際病院図書室の文献検索が威力を発揮したことを河合富士美さんと及川はるみさんが『医学図書館』に書かれています。

私にもいくつか関心のあるテーマがあります。臨死体験(near death experience)もその一つです。関心を持ったきっかけは、<ドストエフスキーとてんかん>という以前から関心があったテーマとの類似点を見いだしたからです。そのことを『臨死体験』の著者である立花隆氏に書き送ってみたことがあります。短い手紙に添えて文献検索リストと文献をいくつか同封しました。返事はなかったのですが、しばらく経って週刊紙の記者を通して「麻原彰晃とメシア・コンプレックスという講演をするので関連文献を調べて欲しい」という依頼がきたのにはびっくりしました。私がどんなにはりきって文献検索に挑んだか、想像してみてください。この時ばかりは、MEDLINEの英語も苦になりませんでした。   

医師に検索を頼まれた時、私はいつも背後にいる患者さんのことを考えます。そして私が提供する情報が患者さんに影響を与えるのだと思うと緊張します。この緊張を忘れないようにすることこそ、私の医学図書館員としてのアイデンティティーであり、生きがいにつながる道だと考えています。それを再確認させてくれたある一つの出会いを思い出 します。  

3〜4年前、テレビで薬害エイズの特集番組を見ていたときのことです。ある医師がインタビューに答えて「エイズ感染の危険を感じてクリオ製剤に切り替えたので、私の患者からエイズ感染者は出ていません」と発言していました。その顔に見覚えがありました。 私が医学部図書館にいたころよく見かけていた小児科医でした。大学病院を辞められ開業された後もよく図書館にみえていました。言葉を交わすこともなかったのに印象に残っているのは、MeSH(MEDLINEの件名表)の古い版を長期貸出して欲しいと頼まれたことがあったからです。自分で文献検索をなさっていたのでしょう。当時コンピュータ検索といえば、JOISのオンライン検索のみでした。通信環境が悪い上に有料でとても身近とは言えない状況でした。それで「すごいな」と思ったことをよく憶えています。ちょうどエイズ薬害が引き起こされつつあった頃のことです。当時、この小児科医は文献検索で情報を得ておられたに違いありません。

遅れること10数年後、私もMEDLINEで血友病×エイズの狭い(Focus)検索をしてみました。すると、厚生省のエイズ研究班が設置された1983年だけですでに32件がヒット しました。しかもその記事が発表された雑誌の多くは、次のような有力誌であったことが わかりました。
Lancet(6)Ann Intern Med(5)N Engl J Med(2)JAMA(2)Nature(1)Science(1)BMJ(1)J Pediatr(1)J Clin Invest(1)その他(12)

この小児科医のように厚生省や製薬会社まかせではなく、独自に情報を得て適切な対応を取ることにより患者さんをエイズ感染の危険から救った病院や医師が、大勢ではないにしろ存在したことはもっと報道されるべきだと思います。そして、彼らが情報を得た背後に医学図書館や病院図書室の役割があったであろうことを、心に留めておきたいと思います。それにしても、当時、今のようにパソコンによる文献検索が普及していたら被害は今よりは少なかったかもしれないと思わずにはいられません。 全国にはいまだに文献検索が行えない病院図書室が少なくないと思われます。また、文献収集に不自由を感じている医療関係者も多いでしょう。彼らに情報を提供することは社会的にも重要な課題です。病院図書室の持つ役割は大きい、私は今では確信を持ってそう考えています。