患者図書室挑戦の記録
にとな文庫通信 No.16 (2011.10)


がんの心さまざま
文藝春秋Special(平成23年季刊秋号)「がんを生きる」より抜粋

スペシャル・エッセイ「私はこうしてがんを受け入れた」には著名人27人が体験を寄せています。その中からがん当事者の印象的な一言をひろってみました。

やなせたかし(漫画家)
膀胱癌の内視鏡手術を2年間で10回繰り返した。「あなたのような高齢の人は普通はこんなに速く再発はしません。よほど細胞が若くて元気なんですね」と医師は言ったが嬉しくはない。仕事は休まなかった。多分いつかは治るだろうと何故だか信じていた。ガンは完治したが天命のつきる日は近い。その日まではなるべく楽しく生きていたい。

小椋佳(作詞・作曲家)
私は40代なかばで大変高い血糖値持ちであった。それが57歳で癌手術後、全く食事をとるのに不都合な身体になり、体重は20キロほど減り、血糖値が正常値になった。私の場合、癌のおかげで長生きしているということになる。

米長邦雄(日本将棋連盟会長)
癌になったとはいっても、それは自分の身体の中のできごとです。優等生が突然不良仲間と付き合い出すなどは人生ザラにあること。それでも可愛い我が子には違いありません。癌とても同じこと、これも何かの縁と思うよりないのです。

鳥越俊太郎(ニュースの職人)
私は内視鏡検査のとき医師とともにモニター画面で自分の大腸の内部を見ていた。私の質問に医師は「良性じゃありません」「切ればいいんですよ」と冷静に答えた。ああ、そうか、切ればいいのか。コトは簡単だなあ。このスタートラインの事情が私の場合、その後の治療にきわめて良好に影響した。

藤村俊二(俳優)
闘病というのは患者が闘うものではなく、お医者さまが闘うものだと考えておりまして、僕自身はまな板の上の鯉。なんにもできませんもの・・・。

大山のぶ代(女優)
心細く、恐ろしく、おびえていたそんな時でした。私の後ろで「切れば?」という声が聞こえたのです。振り返っても誰もいません。「あ、あの子が言ってくれたんだ」そう、ドラえもんです。

堀田力(さわやか福祉財団理事長・弁護士)
余命はいらないから、元気にすごしたい。そういう治療ないし不治療のあり方を経験則から確立してほしい。私はそのアドバイスに従うと決めている。

岸本葉子(エッセイスト)
がんになるまでの精神生活の蓄積を、40歳では少ないが少ないなりに出し切って、天命の導くところまで行けるだけ行く。その結果、死を受け入れられるかどうかはわからないが、わからなくていい。それしかない。

浅野史郎(慶応義塾大学教授・前宮城県知事)
「苦難と挫折を経験し、道をきわめる人には共通のことがある。その人には、根拠なき成功への確信がある」確かに、根拠はない。しかし「絶対に病気に勝つ」という確信はあった。この気持ちが、私に病気と闘う勇気をもたらした。

近田春夫(ロックンローラー)
僕は要するに正面から向き合うということをせず、病のことをなるべく深刻に考えないようにしています。僕は自分の病気にいちいち専門的な勉強をしたりすることが、いったい何になるのか、むしろいたずらに不安が増すだけでは、という考えです。

木田元(哲学者)
それにしても、せっかく哲学を学んできたのだし、その上曲がりなりにも生死の境を覗き見てきたわけだから、同じがんへの対応を語るにしても、もう少し精神的な心構えといったようなものにふれればいいのだがどうもわたしの感想は形而下的なレベルにかたよってしまい申しわけない。これには、多少私の個人的な好みも絡んでいそうだ。