患者図書室挑戦の記録
にとな文庫通信 No.2 (2009.4)


情報は欲しい、でも怖い

下原康子

点滴台を押しながら、30代の女性の患者さんがひっそりと入ってきました。沈んだ面持ちで、室内を見回し一冊の本を手に取りました。ひと時、静かに読みふけった後、ゆっくりと腰を上げ出ていきかけました。
「貸し出しができますが・・・」と声をかけてみました。「ええ、またこんど」そう言って振り向いたその方の目には涙がいっぱいたまっていました。一瞬、虚をつかれた私を見てその方は言いました。「図書室ができたのは知っていました。でも来るのは怖かったのですよ」 

30数年間、医学図書館員として医療者に医学情報を提供する仕事をしてきました。論文のコピーを手渡すたびにそれらの研究や症例の背後にいる患者さんの存在に思いを馳せたものでした。患者さん本人にこの論文を届けたい、と思ったこともたびたびでした。 けれど、それは不遜な考え方だったのかも知れません。一般の人にとって健康ならば医学知識なんか無用です。一生知らずにすませられるのなら、それにこしたことはありません。ところが、病気は突然行く手を遮る高い壁となって目の前に立ちはだかります。

「どうして、なぜ私が、どうすればいいの、これからどうなるの」自問自答を何百回となく繰り返しても自分一人では解決できません。病気について治療法について知りたいと願う一方で、でも知るのは怖い。相反する気持ちの間で揺れ動きながらも前に進むためには勇気を振り絞らなくてなりません。先の患者さんもそうした思いで図書室を訪れたのでしょうか。「気が向いたらまた来て下さいね」小さな声でつぶやくのが精一杯でした。 その後ふたたび「にとな文庫」を訪れることのなかったこの人の一言と涙にあふれた瞳を忘れることはできません。