患者図書室挑戦の記録
にとな文庫通信 No.23 (2012.12)



患者サロンに助けられて

宮地 愛(患者サロン世話人)

2009年7月「県がんセンター患者サロン」を立ち上げてから、今年で4年目を迎えた。生来、ポジティブで恐いもの知らずの私だが、患者サロン設立という目標がなければ心が折れていたかもしれない。再発にも関わらず「よし、生きてこのサロンを続けよう!」という闘志が湧いたことは、実に幸せなことだった。

私の乳がんがみつかったのは、一日も休まず34年間勤め上げた教育相談の仕事を辞め、念願の保育士の資格を取り、保育園に勤め出して6年目、仕事に情熱を燃やしていたころだった。夫亡き後、一人娘も嫁ぎ、孫3人との同居を楽しみ、順風満帆な人生のはずだった・・・乳がんになるまでは。検診で丁寧な触診を受け「大丈夫」といわれたことに安心し、結果票を詳細に見ることなくがんの不安を忘れていた。しかし、その後、入浴時に孫から「固いおっぱい」と指摘され、にわかに不安がよみがえり、すぐに職場近くの病院を受診した。検査結果は、左乳房に3か所のがんがあり、複数のリンパ節転移もあった。

2008年1月末、8時間半の手術で左乳房摘出。ステージVB、5年生存率20%と告げられた。3週間入院し、抗がん剤治療。退院後は味覚障害、口内炎、リンパ浮腫など次々に襲う副作用に苦しみつつ、0歳児からかつらをかわしながらも保育園の勤務を続けた。仕事や家事、孫の世話など寝込む暇はなかった。人はやることがあれば強くなれるのだろう。その後、リンパ浮腫が酷くなり、97才の母の介護もあって仕事を辞め、千葉に転居し、県がんセンターに転院することになった。前の病院で手術してから1年後に鎖骨リンパ節転移がみつかり、肺の影も指摘された。リンパ節転移は、放射線治療を選択したので、約1か月半、毎日通院した。肺の方は1年半の経過観察後、手術し、肺腺がんT期と判明した。今、ふたつのがんを抱え、ホルモン治療と経過観察中の身である。いつ再発してもおかしくない。常に不安との闘いの中にあるが、県がんセンターで受けた説明や対応には納得できた。

転院して間もないころは、安心のための情報が欲しくて、医師、看護師、薬剤師、相談支援室、ピアサポータetcに必死で相談した。にとな文庫の本も読んだ。センターには相談できる場所が様々あって、一人ぽっちではないことを知った。私は今、前センター長、現センター長始め、センターの多くのスタッフに支えられていることを実感し、心から感謝している。こうした経験を経ながら、患者同士で悩みや苦しみを共有できる場が欲しいという気持が強くなっていった。放射線治療中に患者サロンの立ち上げの話が持ち上がり、私も世話人として名乗りをあげた。毎日通院するのを幸いに仲間集めやポスター作成などの準備を進めていった。

現在、サロンでは、患者同士のミーティングの他に、勉強会、音楽会、患者さんによる寄席、旅行、食事会、外部講師による講習会 などを行っている。「患者サロン便り」も発行している。ミーティングではお互いに悩みや苦しみを吐きだし、涙し合う。そしてお互いに勇気をもらい、笑顔で帰る。苦しいのは自分だけではない、支え合う仲間がいる、と心強く感じる。とはいえ、自分の病気と闘うのは自分しかいない。正しい知識を得て、少しでも楽になれる方法をみつけ、医療者の力を借りてがんと共存し、一日一日を大切に笑顔で生きていきたい、みんなそう思っている。こんなサロンが身近にある。仲間になり、元気になり、人生を楽しみましょう。ちょっぴりサロンのお手伝いをしていただける方も募集中です。