患者図書室挑戦の記録
にとな文庫通信 No.25 (2013.4)



大原孫三郎のことば  倉敷中央病院見学で感じたこと 

今年の2月、日本医学図書館協会病院部会主催の病院見学会に参加しました。見学先は倉敷中央病院、1923年(大正12年)倉敷紡績社長大原孫三郎(大原美術館設立者)によって創設された病院です。開院当日の中国民報に「病院は明るく温かく、柔らかく住みよい住宅の如し。患者はここに来ると気が晴れ、心が和み陰鬱も忘れ、自分が病気であることを忘れる」と紹介されました。私の目に映った病院もこの紹介のとおりでした。孫三郎が起こした倉敷の奇跡は90年を経ても脈々と息づいていました。今回は『大原孫三郎 善意と戦略の経営者』(兼田麗子著 中公新書2012.12)の中から大原孫三郎のことばをご紹介します。



病院の根本方針は 

@ 研究のみを主眼としない
A 慈善救済に偏しない
B 看護体制を充実させる すなわち充分な人数の看護婦を配置して付き添いを全廃する
C どの患者に関しても懇切で完全なる平等無差別の取扱いをする。
  病室に等級を設けない、寝具やその他の備品もすべて備えつける。
D 院内従業員に対する心付けや謝礼、贈り物などを一切厳禁とする。

「(不況時に)この病院が仮に年々五万円ずつ損をして倉敷紡績が損害を被ったとしても、それは決して無駄に消えるのではなく必ずもどって来る。(中略)万一、算盤や数字の上に現れないとしても、倉敷紡績がこれによって数字を超えて更に大きく恵まれるという確信を自分は持っているものである」

「研究所は立派な研究員を持たねばならない。そんな人たちに片田舎の倉敷に住んで貰うためには立派な図書を持たねばならない」

(見学した病院の「ゲッチンゲン医学古典文庫」が収められたフロアには居心地のよいカフェテリアと図書室がありました。図書室が提供する充実した文献検索環境が医師研修の目玉であることが納得できました。また患者図書室は、医学情報を所蔵する「医療情報の庭」と読み物を貸し出す「患者さん図書室」の2種類がありました。)

「人は事業や生活で主張を実行すべきである」

「地下水というものがある、雨が降ってそれが地下に落ちていればこそ樹木や野菜、田んぼができる。ただ表面だけで流れておる川であったらそれはだめだ。かえって泥水になるより他にない」

「仕事を始めるときには、十人のうち二、三人が賛成するときに始めなければいけない。一人も賛成がないというのでは早すぎるが、十人のうち五人も賛成するようなときには、着手してもすでに手遅れだ、七人も八人も賛成するようならば、もうやらない方が良い」

「文化というものは中央に集まるのはよくない。地方にあるからこそよいのだ」

「善意で山は動かない。山を動かすのはブルドーザーである。使命と計画書は善意に過ぎない。戦略がブルドーザーである。戦略が山を動かす」
(ピーター・ドラッガーのことば。『大原孫三郎』の著者・兼田麗子氏が孫三郎の実践を例えて引用)