患者図書室挑戦の記録
にとな文庫通信 No.28 (2013.8)



挑戦することが薬だった 

車椅子バスケ日本代表ヘッドコーチ  及川 晋平


千葉県がんセンターを去ってから20年以上が経った。16歳の時に骨肉腫で入院、3度の再発と戦いながら5年近い闘病生活をこのがんセンターで過ごした。主治医の館崎先生は昨年退官されていたが、入院中にお世話になった看護師さんたちに再会できた。 「あ〜長い月日が経ったんだな」、20年という月日がズシンと心に重く感じた。私は21歳で退院し、1年後にアメリカに留学。右足大腿部からローテーション手術をし、義足生活だった私は、車椅子バスケットボールをしながら、再発の恐怖から逃げるように次から次へと色々なことに挑戦していった。退院してからは、挑戦することが唯一の薬だったような。

留学を終え、日本に帰国。車椅子バスケの日本代表選手として2000年のシドニーパラリンピックに選手として出場した。昨年は日本代表のアシスタントコーチとして、ロンドンパラリンピックに出場。そして、今年からヘッドコーチに就任し、2016年のリオデジャネイロパラリンピックに向かう。長い20年だったが、本当に色々あった。留学、就職、結婚、日本代表(選手、コーチ)、家購入!などなど。一気に駆け抜けてきた感じだ。そして先日、2020年東京オリンピック・パラリンピックが決まった。その頃には私はもう50歳近くなる。

闘病生活をおくっていた頃(20歳前後)は、「将来僕はどういう人生を送っていくんだろうか?」「何歳まで生きることができるんだろうか?」と先の見えない自分に、とても心配した。しかし、今はなんとかなったな〜、って思う。そして、2016年のリオデジャネイロ、2020年の東京とまた一つ先の目標ができた。いまでも「逃げている」という感じは変わらず、しかし、なんだかやっていけそうだ!とも少し思える。2016年のリオデジャネイロでいい成績を残して、将来にまたつなげたい!そう思ってまだまだ挑戦していきたい。