ある医学図書館員の軌跡
月刊青島 No.7 1996.1


大学図書館の一般公開を望む  薬害エイズの教訓

下原 康子 (東邦大学医学部付属佐倉病院図書室)


情報には重大な情報とどうでもいい情報がある。巷にあふれるのはどうでもいい情報がほとんどで、重大な情報はごくわずかである。ところが、重大な情報ほど手にいれるのが難しい。たとえば、国や自治体が保有する情報がそうだ。これらは時として市民生活を守る有効な武器になるのだが現状では手に入れるは容易ではない。公開状況は自治体によってバラツキがあるし、公開しているところでも制度の整理はまだまだだという。
一日も早い情報公開法の制定が待たれる(1)。

どころで、人間ならばだれもが重要と考える情報がある。それは自分や家族の健康に関する情報である。若く健康なうちはともかく、いったん病気になると旅行だの買い物だのイベントだのという情報はぶっとんでしまう。自分の身体、自分の病気が最大の関心事にならざるを得ない。ところが、情報が氾濫するこのご時勢にもっとも大切な自分の生命にかかわる情報を手に入れるのがなぜか難しいのである。
早い話が自分のカルテを見ることができない(2)。できればコピーして手元おきたいと思うが許されそうにない。加えて医者の説明は十分ではないし、かといって書店や公共図書館に行ってもなかなか適切な解説書がみつからない。そもそも日本には一般向けの質のよい医学解説書がアメリカなどに比べて少ないのである(3)。

ところで、私は病院の図書室に勤務する司書である。医者に医学専門書や医学雑誌を提供するのが仕事だ。最近ではパソコンによる文献検索が盛んにおこなわれている。世界中の膨大な医学情報の中から、求める情報をさほどの困難もなく短時間で見つけることができる。私自身、自分や家族や知人の病気を調べるために何度かこの検索を利用し有益な情報を入手した。これは一般市民としてはかなりの特権だと思う。この特権を役得と割り切ることはできないという気がする。そうした思いをとりわけ強くした出来事がある。

昨年、東京地方裁判所と大阪地方裁判所からHIV訴訟の和解勧告とその所見が出された(1995年10月6日)。その内容は被告側の国と製薬会社側に厳しいものだった。ところで、この裁判の論点は厚生省がエイズ研究班を設置した1983年6月の時点で血液製剤でエイズに感染することが医学的に予見できたかどうかという点であった。国側は「当時はまだエイズの原因がはっきりせず、非加熱製剤の使用を中止できなかった」と責任を回避した。1985年7月にやっと加熱血液製剤の認可がおりたが、この2年の間に多くの血友病の人たちが薬害の犠牲になったのである。

和解勧告の所見には次の文言があった。

「当時(1983年頃)厳密な科学的見地からはエイズの病因は確定しておらず、エイズウイルスも未だ同定されていない段階ではあったけれども、米国政府機関等の調査研究の結果とこれに基づく種々の知見に照らすと、こと血友病患者のエイズに関する限り、血液又は血液製剤を介して伝播されるウイルスによるものとみるのが科学者の常識的見解になりつつあったというべきである」

それならば、なぜ日本の科学者は沈黙していたのだろうか。海外では常識になりつつあったというこの重大な事実が血友病の患者を診ている日本の医師の間でなぜ大きな話題にならなかったのだろうか。またなぜメディアは報道しなかったのだろうか。1983年当時血友病患者やその家族の一部が血液製剤の危険性に不安を抱き、医師や厚生省に何度も安全性を問い合わせていたという。

患者は病気の治療のすべてを主治医にゆだねている。主治医が大丈夫と言えばたいていの患者はそれで納得せざるを得ない。それ以上調べるてだてを知らないからである。医学図書館員だった私は彼らにとって命にかかわるこの重要な情報を入手する手段を知っていた。しかし残念なことに、問題になっていることを知らなかった。また医師からそのような文献の検索を依頼されたこともなかった。すぐ手の届くところにその情報はあったのに役にたてることができなかったのである。

今となっては遅すぎるのだが、ともかく当時科学者の常識になっていたというのが事実かどうかを確かめたいと思い文献検索を行ってみた。アメリカの国立医学図書館で作成しているMEDLINEというデータベースで調べたところ、血友病とエイズ感染の両方を満たす文献が、厚生省のエイズ研究班が設置された1983年だけで32件ヒットした。しかも発表された雑誌の多くは、次のような有力誌であった。 Lancet(6)Ann Intern Med(5)N Engl J Med(2)JAMA(2)Nature(1)Science(1)BMJ(1)J Pediatr(1)J Clin Invest(1)その他(12)。これらの雑誌論文は、医科系の大学の図書館で容易に読むことができたはずである。

大学図書館の抱える学術情報は膨大である。それは国や自治体の情報とおなじように普段は関係ないと思いがちだがいざとなれば宝の山になるのだ。知りたいことがちょっと専門的になると公共図書館では間に合わないことが多いのである。国も製薬会社も医師までも患者に重大な事実を告げるのを怠った。もし、患者自身が自分で情報を得ることができていたら悲劇のいくつかは防げたかもしれない。
情報公開法の趣旨にそって、大学の図書館をぜひ地域住民のために公開して欲しいと思う(4)。




2014年の追記

1996年にこの文章を書いて以後、4箇所(
赤1〜4)の記述に関して大きな変化がありました。

(1) 2001年4月1日「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)」が施行されました。国民の情報公開請求権(知る権利)を保障し、行政の説明責任を全うすることを目的とする法律です。対象になるのは国の行政機関で、国立大学が保有する情報も含まれます。図書館の蔵書・資料等も同様です。

(2) 2005年4月1日「個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)」が施行されました。これで、患者は病院に対して法律に基づいてカルテ開示を求めることができるようになりました。

(3) 健康志向・健康意識の高まりを受け、現在では医師等による一般向けの病気の解説書が数多く出版され書店の本棚の一角を占めています。

(4) 「情報公開法」を受けて現在では国立大学を筆頭に数多くの医学図書館が一般公開を実施しています。ホームページからの印象ですが、地域住民に対して図書館の利用を積極的に促す大学も増えつつあるように思われます。 

一般市民も使える医学図書館

しかしながら、以上のような変化にもかかわらず、未だ、大半の一般市民は「医学図書館」の存在を知りません。たとえ思いついたとしても敷居が高く利用にはつながらないようです。一方で、インターネットは刻一刻と拡大を続けており、医学情報も膨大です。それらの中から一般市民が信頼できる情報を見つけ見極めることはきわめて困難な状況になっています。

豊富な学術情報を保有する医学図書館は国民の宝庫です。医学図書館員はより広く社会に貢献できる機会と環境に恵まれています。そしてそれを可能にするサービスの技術も持っています。私自身が今も昔も恩恵を受け続けているように一般市民にも医学図書館の情報を活用して欲しいと願っています。