ある医学図書館員の軌跡
日本インターネット協議会(JIMA)第3回会員研究会 2001.5.20


患者と家族が病気について学ぶために


はじめに


私はかなり長い間、医学情報を提供する仕事をしてきております。提供する情報の種類は医学書、医学雑誌、医学論文、医学データベースなどの学術情報、いわゆる専門知識といわれるものです。提供する相手は医療関係者です。長い間勤務している間に、私自身、急性肝炎と乳がんで入院しました。また、子どもや両親や兄弟も病気にかかりました。医学図書館員だから多少の医学知識は持っているだろうと思われがちなのですが、普段から、医学書を読んでいるわけでもありませんし、また先々かかる病気を予測して勉強しておくわけにもいきません。いざ病気になったときの知識は一般の患者さんとなんら変わりはありません。だだ、あきらかに恵まれていたのは、その病気についてすぐに調べることができたことです。普段は医師に行なっている医療情報提供サービスを自分自身のために行うことができたという点です。専門知識の壁も、自分に関わることになれば、乗り越えられるということもわかりました。これらの体験から、同じことを多くの患者や家族が望むのではないかと思うようになりました。とりわけ、慢性疾患や難病の患者さんたちの多くは、最新の確かな情報が、たとえそれがすぐに治療には結びつかないものであっても、関心を持ち、それらについて知りたい、学びたいと望むのではないでしょうか。そのための方法や環境が与えられるべきだと思います。


T.リスボン宣言 
(患者の権利に関する世界医師会(WMA)リスボン宣言 1995年改訂)

9.健康教育を受ける権利
a. 何人も十分な情報・知識を踏まえて自己の健康や保健サービスに関する選択が行なえるようになるため、保健教育を受ける権利を有する。
b. その教育には健康的ライフスタイルや疾患の予防・早期発見の方法に関する情報が含まれねばならない。自分の健康に対する自己責任が教育の中で強調されるべきである。医師はこうした教育的努力に積極的に関与する義務を負う。

リスボン宣言では11の患者の権利がうたわれています。その中の9番目に患者が健康教育を受ける権利が掲げられています。私が注目したのはbの後半にある「自分の健康に対する自己責任が教育の中で強調されるべきである。医師はこうした教育的努力に積極的に関与する義務を負う」という部分です。この部分を、私流の解釈で言い変えてみました。「患者は自分の健康に対して自己責任がある。それゆえ学ぶ権利とそのための手段・環境が確保されなければならない。医師は患者の学ぶ権利を尊重すると同時に、こうした努力に対して協力かつ支援する義務を負う。また、図書館員は情報提供の面から、こうした努力をサポートすべきである」ということになるかと思います。

U.患者が学ぶ権利  なぜ学ぶ必要があるのか。

リスボン宣言の教育を受ける権利を学ぶ権利と言い換えました。患者はなぜ学ぶ必要があるのでしょうか。また学びたがるのでしょうか。私自身の体験から、思いつくままに上げてみました。

1.病院・医師を選ぶために。セカンドオピニオンを探すために
2. 受診のきっかけをつかむために
3. 自己決定のための判断材料を得るために
4. 治療の主人公、また治療チームの協力者になるために
5. 病気と闘う勇気と元気を得るために
6.カルテの内容を理解するために
7.医療事故、薬害から自分や家族を守るために
8.医療や医療者への理解を深めるために
9.医学の可能性と同時に不確実性と限界を知るために
10.賢い消費者になるために

1〜4番目について
自己決定と自己責任が強調されるテーマであり、学ぶ権利における中心的な主張です。賢い患者にまっさきに求められることがらということもできます。5番目の「病気と闘う勇気と元気を得るために」これは主張としては地味ですが、大切な要素の一つです。私自身が病気だったときはもちろんのこと、こどもが病気のときも実感しました。私の息子は生まれたとき母乳をよく吐くので勤務先の病院で検査を受けました。検査の結果「好中球減少症」だと言われました。聞いたこともない病名にショックを受けました。けれども、医学図書館で調べることができたおかげで、「これからどうなるのだろう」という先の見えない不安や「何もしてやれない」という無力感に陥らずにすみました。そして、「絶対助けてみせる」という勇気と元気が湧いてきたのを憶えています。この件は、その後の経過から「慢性良性」のタイプであったことがわかり、成長するしたがって正常に戻りました。

6番目 カルテの内容を理解するために
カルテ開示やインフォームドコンセントが効果を上げるには、ある程度、患者側が知識を持っていることが前提だと思います。また、医師に気になることをいろいろ質問するための下準備として勉強しておくことも必要かと思います。

7番目 医療事故、薬害から自分や家族を守るために
私の急性肝炎は漢方薬の副作用でした。また母は去年、パーキンソン病と診断されましたが、それは長年服用していた胃腸薬の副作用でした。どちらの例も医師はその原因究明にさほど関心がないように感じられました。服薬の自己管理も自己責任であることを学びました。薬害エイズ事件からは「自分や家族を守るためには、自力で確かな情報を得るしかない」という苦い教訓を受け取りました。

8番目と9番目
表現が違うだけで言いたいことの根っこは同じです。特に医学の不確実性を知ることが重要だと思います。この不確実性のゆえに医師は説明をためらうことが多いのだと思います。そのことをある程度、理解できれば、医師へ過度な期待はしなくなり、不信感も薄らぐのではないかと思います。
 いくら、科学的根拠のある治療だと言われても、一方的に与えられるだけの情報では患者は納得することはできません。納得するためには、不確実性をある程度、許容できることが大切で、自主的に学ぶことがその助けになると思います。

10番目 賢い消費者になるために。

私は日本の国民皆保険制度は、これからもずっと維持していって欲しいと思っています。そのために多少は医療経済について学んで、医療費の無駄づかいをしないよいうにするのも国民の義務ではないかと思います。

V.何を学ぶのか −患者が必要とする2種類の情報(柳田邦男)

○自分の病気とその治療についての知識
○その病気になった患者の闘病と生き方の実際を知ること

今年の文芸春秋の4月号で「病院に殺されないために」という特集をしていました。その中で柳田邦男さんが「患者のプロになるための読書術」という記事を書いています。その中で患者さんが必要とする情報には2種類ある、と言っています。一つは「自分の病気とその治療についての知識」これらの知識を得るためには看護職向けの解説書やマニュアルが適切であると言っています。もう一つの必要な情報は「その病気になった患者さんの闘病と生き方の実際を知ること」です。そのためはいろいろな人の「闘病記」を読むことを勧めています。


W.情報を得るための方法

1. 書籍、雑誌の購入
2. 図書館(公共図書館、医学図書館、病院図書室)の利用
3. インターネットの利用
4. 患者コミュニティー

情報を得るための方法としてはこの4つが考えられるかと思います。現在、医学図書館や病院図書室では、学術情報にアクセスするためのいろいろな調査、たとえば医学雑誌論文の文献検索や、資料の出版調査や所在調査などですが、そういう調査のために日常的にインターネットを使っています。使うサイトの多くはフリーで公開されているので、誰でもアクセスできます。それらのサイトについては「医学図書館員が選ぶ患者さんのためのWebサイト」にまとめました。インターネットのおかげで調べたり探したりは、本当に便利になりました。けれども、いくら調べてリストアップしても、その本なり雑誌なり、また雑誌論文なりを実際に入手できなければ何にもなりません。ところが、一番肝心なそのことが、まだまだ困難なのです。学ぶための環境も整っているとはいえません。では、どのような条件、どのような環境が整えばいいのでしょうか。私がこんど患者になったとき、そうあって欲しいと思う3つの環境をご提案いたします。

X.学ぶために必要な環境(提案)

1. 医学図書館、病院図書室の一般公開
2. 病室・病棟でインターネット
3. 国内医学雑誌論文データベースをインターネットで無料公開

最初の提案は、医学図書館、病院図書室の一般公開です。一般公開の現状を調べたホームページがあります。医学図書館の一般公開というHPです。医学図書館が作成しているHPかと思われるかも知れませんが、さにあらず。医学図書館の利用を断られた人が「市民だって医学図書館を使いたい」と言って、立ち上げたHPです。市民にとって、医学図書館、病院図書室はどうしても近寄りがたいかも知れません。各地の公共図書館とネットワークを作り、そこを窓口として、情報サービスを行なうことも、今後考えられてよいと思います。

2番目の提案は、病棟内でインターネットが使えること です。インターネットは、若い健康な人よりも出歩くことが困難になった高齢者や障害者や患者たちにこそ、有効な情報入手法であり、コミュニケーションの手段であり、社会と繋がる方法なのではないでしょうか。

3番目の提案は、国内医学雑誌論文データベースをインターネットで無料公開して欲しいという医学図書館員としては思いきった提案です。事情に詳しい方が聞かれたら、なんと無知で無謀な提案だとお叱りを受けるかもしれません。もっとも、最近になってインターネットで個人ユーザーでも利用できるサービスが3つ始まりました。(資料)。この3つのソースは多少のずれはありますがほぼ同じと考えて上げてよいと思います。しかしながら3つとも無料ではなく、使用料も安いとはいえません。アメリカのMEDLINEのように無料公開を議論する余地があるのかどうか、そのあたりには不案内なのですが、私としては定年退職した後も、このデータベースを自由に存分に使いたいと願っております。

「インフォームドコンセント」というアメリカの医師が書いた小説を最近読みました。『経済原理に揺れるアメリカの医療』」や『アメリカ医療の光と影』を書かれた李啓充(り けいじゅう)さんが翻訳された本です。その中に、主治医が患者を医学図書館につれて行って共同して文献を調べるという場面がありました。私が理想とする医師と患者の一つのかたちです。残念ながら、直接、登場はしていなかったのですが、二人の背後でサポートしていた医学図書館員がいたであろうと思います。近い将来、日本において、同じ場面に遭遇したいと願っています。その実現のために努力したい、そう思っております。