ある医学図書館員の軌跡
『病院図書館の世界―医学情報の進歩と現場のはざまで』の刊行を喜ぶ
(奥出麻里 著 日外アソシエーツ 2017.3)
下原 康子
著者の奥出麻里さんは1977年4月から2016年3月までの長きにわたって病院図書館司書として働かれた。本書は一人図書館司書の奮闘記であるとともに、病院図書館の歴史を証言する貴重な記録である。私としては著者が長いおつきあいのある親しい友人であることがなんともうれしい。1990年代のころからしばしば川鉄病院図書室をお訪ねすることがあった。十分な広さ(162㎡)があり、レイアウトや掲示のセンスがよく病院中でも居心地のよい場所だった。 奥出麻里さん
本書に登場する白井厚二先生(川鉄病院勤務等を経て東邦大学佐倉病院長になられた)に「奥出さんのところのような図書室が欲しい」と話した記憶がある。しかし、奥出さんが入職した時の図書室はなんと40㎡だったのだ。40㎡から162㎡までの長い道のり、その間の奥出さんの努力と奮闘ぶりが本書の圧巻であり、病院図書館仲間の多くが共感するところだと思う。
「病院図書室はいくら頑張っても大学の医学図書館のようなたくさんの蔵書や情報に追いつくことはできません。けれど24時間オープンのコンビニのようになればいいんだ、欲しいものそれ自体はなくても替わりになるものを探して提示できればなんとかなる(52頁)」
けだし名言である。奥出さんには新米司書のころから「利用者の求めは何か」を理解し対応策を具体的に考え実行に移す行動力があった。大学図書館や先輩の助けを求め、積極的に学ぶ機会をもった。
奥出さんは人と繋がる、また人と人を繋げるソフトなネットワーク能力に長けた人である。病院図書室や医学図書館に関わる多くの活動や貢献、長きにわたる交友がそのことを物語っている。『図解PubMedの使い方』は7版を重ねるという。後進に大きな遺産を残されたことに感謝したい。私自身、奥出さんのおかげで病院図書室研究会、千葉の医学情報サービス大会、千葉のLLCなどに参加して多くの仲間たちや今は亡き平川裕子さんに出会うことができた。
私が医学部図書館から病院図書室に異動したのは1991年だが、もはやパソコンから逃れられない時代に突入していた。その後、情報革新の波はますます急速に激しさを増しインターネットの大津波に吞み込まれていった。そんな中でも奥出さんは臆することなく医学図書館にもひけをとらない新しい挑戦を続けた。ところで、私のデータベースソフト事始めは奥出さんと同じく「桐」だった。今でも自宅で使っている。また「和雑誌特集記事データベース」のそもそものきっかけが順天堂大学図書館の試みであったという点も共通している。
本書において私がもっとも感銘を受けたのは、奥出さんが仕事を始めたその日から退職の日まで、一日も欠かさず業務日誌をつけていたことである。そのノートは173冊にもなった。学者司書だったこともあるゲーテは司書がよりよい仕事を行うために作業日誌を導入した。
「なしたこと、体験したことを日々概観してこそ、自分のおこないに気づき、それを喜ぶことができるのです。そうして毎日ノートをつけていると、欠陥や誤りがおのずと明らかになります」(ゴットフリート・ロスト著 『司書 宝番か餌番か』)
業務日誌が奥出さんの仕事に対する意欲と誇りを支え続け、利用案内、研修会、ホームページ、スタッフマニュアル、各種規定、そして本書へと結実したのだと思う。
病院機能評価事業に尽力された牧野永城先生は「よい図書室を持つ病院に悪い病院はない」と言われた。そしてよい図書室にはよい司書がいる。 奥出さんの今後の活躍に期待するとともに、今一度本書刊行のお祝いを伝えたい。